「紅村窯」の新たな代名詞は、
4代目が生み出した「鋏菊」による繊細な菊模様

観光客で賑わう清水寺参道。ゆるかに続く閑静な坂道は「清水焼」のふるさとだ。かつて「清水焼」の窯元が軒を連ねていたことから「茶わん坂」と名付けられた逸話がある。「清水焼」とは、形も絵付けも様々なのが特徴。京都という都に日本中から選りすぐりの職人が集い、さまざま技法でやきものが作られていたことがルーツだ。そして、この坂の途中には「紅村窯(こうそんがま)」がある。1915(大正4)年、初代・林永次郎が開窯した100年以上の歴史を持つ窯元の4代目・林侑子さんに「紅村窯」の伝統と革新について、話を伺った。

 

 

 

 

 

 

 

東大路通りから清水寺への参道を「茶わん坂」と呼ぶ。日常使いのうつわや作家作品の一点ものを扱う店が並ぶ。ほかにも、京都の伝統工芸品を販売するギャラリーもある。

文化を後援する寺社仏閣、皇族、貴族の存在があったことで、伝統が受け継がれ、今もなお商店街が軒を連ねる「茶わん坂」。京都の陶器を販売する店が点在している。ここにはかつて、職人たちが集まる共同の登り窯が15〜20基ほど坂の下にあったという。「紅村窯」が電気窯を導入したのは50年ほど前のことだ。以来、個人の窯で焼くスタイルが定着した。やがて「紅村窯」が確立した気品のある白磁と青磁は、その技術を受け継いで今も作られており、茶器や花器、料亭の器などを中心に長く愛されるようになった。

「紅村窯」の直営店は、京都ならではの風情溢れる木造建築。食器、一輪挿し、香炉、照明など、父・克行さんの作品と侑子さんの作品が並ぶ。

絵付けを施さないのが「紅村窯」の主流。フォルムにこだわったシンプルかつモダンな佇まい、釉薬表現によるなめらかさが魅力だ。曽祖父の時代から作っていたという深い青の色が特徴的な青磁。そして、祖父の代で、骨灰を入れる「ボーンチャイナ」という技法を踏襲し、自分にとっての“美しい白”を追求した白磁が代表作になっていった。

青磁は土に鉄分を練り込むことで、独自の深い青を表現。白磁は伝統の西施白磁製作技術により、白玉のようになめらかな質感を追求した。

こうして3代に渡って受け継がれてきた「白磁」と「青磁」の伝統と技術に、オリジナルの新しい技法を融合したのは4代目の林侑子さんだ。鋏を使った「土鋏」と名付けた技法で「紅村窯」としての革新性を自らの手で切り拓いた。

「紅村窯」の伝統である白磁と青磁の技術を習得し、窯の“顔”となる器をつくるところからスタートした。

「『鋏菊』といって、菊のモチーフを鋏で切り出すアイデアなのですが、和菓子にこうした技法があるんです。練切餡をそれぞれ先の尖った製菓用のはさみや長い針を用いて花弁を一枚一枚、丁寧に切って仕上げる技です。お付き合いのあるギャラリーのキュレーターの方に『花をモチーフにした作品を作っています』と伝えたら『制作のヒントになれば』と『鋏菊』の動画を送ってくださったんです。その動画で見た和菓子がとっても綺麗で。強く引き込まれるものがありました。その瞬間『土も鋏で切れないかな?』と思い立って。すぐに工房に入り、鋏を探して手を動かしている自分がいました」

 

想い溢れて、行動に移したのは2016年のこと。そこに辿り着くまでには、さまざまな紆余曲折と林さんの家族のストーリーがあった。

 

「私がやきものの世界に入ったのは21歳のとき。今から20数年前のことです。私の母はテキスタイルデザイナーだったのですが、自分が小学校6年生のときに膵臓がんで他界しまして。そのあとに自然と母の意思を継ぐ気持ちが芽生えて『絵をやらねば』という使命感に駆られました。“絵の世界”に行ってみたものの、自分が心から求めていたものではないことが分かって。その後は、服が好きだったこともあり、アパレル業界で働いていました。昔を振り返ると、母と百貨店に行き、店に並んでいる商品の柄にどんなものがあるのかリサーチするような時間を過ごしていて。今思えば、デザインや絵柄に無意識に触れていた時間に何かしら吸収して、影響を受けていたのかもしれません」

 

アパレルの店舗でしばらく接客業を楽しんでいたが、その店をはじめ、関連の店舗がクローズしてしまうことに。次の働き口をどうしようか、とぼんやり考えていたときに父親から「陶芸をやってみないか」と声がかかった。

柔らかく湿らせた土を一度切っては鋏の跡をぬぐい、なじませる。 螺旋状にそれを繰り返し、花びらを作っていく。

「父はかねてから私がものづくりに向いていると思っていたようで。家業を継ぐかどうかの話は、タイミングが大事だと考えていたそう。タイミングを間違えると反発するだろう、と。やりたいと思うことがあるうちは好きなだけやらせてあげようというスタンスの人なんです。それで『やりたいことを迷っているんだったらやってみないか』とある日、言われて。その瞬間、嫌って言えなかったんですよ(笑)。男手ひとつで育ててくれたことに感謝の気持ちがありますし、見守っていてくれているということもわかっていたので。やっぱり自分がやらないと3代続いてきたものが無くなるんだな、という使命感もありました。それで、やきもの学校に行ったんです。成型を学ぶ学校に2年、釉薬を学ぶ学校に1年。学校を卒業した後、家業を継ぎました」

「10年以上、いろんなものづくりを模索しました。磁器じゃないものもつくりましたし、あらゆる試行錯誤をしていました。何度トライしてもうまくいかない作風があったりだとか。そうしたことを繰り返し、いろんな技術や知識をある程度兼ね備えたタイミングで『鋏菊』の技術がピタッとハマった感じで。『紅村窯』の技術を使えば土でも鋏で切れることが分かり、ある程度練習したら動画で見た和菓子のように美しいものがつくれる、とイメージが膨らみました。それからはただただ楽しく、1〜2カ月没頭して土を切っていました」

1枚1枚の菊の花びらが端正に広がる様は“いのちの躍動”を感じさせる。

「『鋏菊』のはじめのスタートは12分割と決めています。それが自分にとっていちばん美しいと思うバランスです。ずっとわたしの作品を見てくれている人は『鋏菊』の作品を発表したときに『なんやこれ。こんなことやるのがオモロいな』と言って、購入してくださった方がいました。初期の作品はいま思えば拙いところがありましたが、いいリアクションをしてくれる方がいたことがモチベーションにもなりました」

 

そんな彼女を、父・克行さんは温かく見守ってくれたという。

 

「『好きなようになんでも挑戦してみたらいい』とものづくりにかける想いを応援してくれていました。自分でものづくりをしている人間は、まったく同じものを作り続けているだけでは、いろんな意味で先細りしてしまう、という考えを持っていて。自分にとっていいものを見つけて、自分のやり方で積み重ねていかないといけない、と教えられました。私自身、自分が楽しくないと活動する意味がないと思っています。それで、『鋏菊』の技法を突き詰めて邁進していきたいという気持ちがさらに強まりました。思えば、私の母はテキスタイルデザイナーとして活躍していたときに“花柄専門”だったんです。自分の作品が花モチーフだったのもその影響があったのかもしれません。テキスタイルデザインと陶芸の両方の道を進むことは難しかったですが、この作品を作ることで、父と母の想いを、私の中でひとつにすることができたように思うんです」

 

先代、ひいては親から受け継いだもの、林さんの体内に眠っていたものが、器というカタチに繊細に表現されたことは、必然だったのかもしれない。「鋏菊」の技法は独学で始めたため、専門の道具としてあらかじめ決まったものがなく、どんなものが手や技に馴染むのかを模索しながら見繕った。そのプロセスを林さんはひとつの“遊び”のように楽しんだ。

制作は、手に馴染むコンパクトな眉毛きり鋏を使用。林さんの目の付けどころやセンスは、こうした道具のチョイスにも表れている。

「いろんな鋏を試したのですが、眉毛きり鋏がいちばんいいことがわかって。刃が薄くて、細くちょっとラウンドしているので花びらを切るのにとてもフィットするんです。京都の『菊一文字』の鋏も使っています。作業としては、土をろくろで削って、1回乾かしてもう1回削る。それをもう一度繰り返したタイミングで鋏を入れます。最初はそのやり方がわからなかったので、鋏に土がグチャっとついたり、形が歪んだりしてしまって。その一方で、土が硬すぎると花びらが1枚1枚ボロボロと取れてしまって綺麗に仕上がらなくなります。土を相手にした一発勝負。最近は土の感触でいい頃合いがわかるようになりました。今は、土を切っていることが一番楽しい時間。切り終わった後に本当に美しいな、と自分で作ったものに引き込まれてしまう。照明など大物の球体も作ったりするのですが、切るのに16時間くらいかかります。作っている最中は、ランナーズハイのようなものでゾーンに入っているような感覚になるんです。ほかの事柄と比べようのない達成感がありますね」

林さんが「鋏菊」という技法に向き合うようになってもうすぐ10年。クリエイティブの波に、うまく乗っている充実感が言葉の端々に感じられる。実際、国内のみならず、海外からの問い合わせも多いという。彼女の作品に惚れ込み、作品とともに生活を楽しみたい、と希望する人は後を絶たない。「小川珈琲」は独自のコミュニティを通じて林さんと出会い、この「鋏菊」の技法を施したマグカップをオリジナルで作ってもらったという。

マグカップは9㎝ほどの高さがあり、たっぷりとコーヒーを注ぐことができる。 光と影の差し方で菊模様の見え方がドラマティックに変化する楽しさも。

「このマグカップは霧吹きで釉薬をかけて、点で釉薬をかけることでセミマットな質感を表現しています。釉薬を全体にかけてしまうとピカピカと光すぎてしまって『鋏菊』のディテールがどうしても埋もれてしまうので。そこを調整することに配慮しました。あとは、指を置いたときの心地よさをイメージして、取手をデザインしています」

小川珈琲「京珈琲シリーズ」の ドリップパック(5パック)とマグカップ1個のセット。ピンクとイエローの2種。ギフト包装したものを15,000円で販売。

ひと目見た瞬間、心に刻み込まれる林さんの美しい手仕事。その凛とした佇まいの中にどこかやわらかさを感じる器は、日常で使うほどに、私たちの心に寄り添い、いろんな景色を見せてくれることだろう。