登場の前と後で、
銭湯を変えたエポック的存在。

サウナブームの流れもあり、今、銭湯は若い世代にも注目を集める存在になっている。とはいえ減り続ける昔ながらの銭湯を、1軒でも多く残すべく奮闘するのが、湊三次郎さんだ。大学入学を機に暮らし始めた京都で銭湯に魅せられ、24歳という若さで廃業寸前だった「梅湯」の再建に取り組む。以来7軒の銭湯を再建し、今も案件を抱える湊さんの情熱の源を探ってみた。

 

 

 

 

 

 

 

「梅湯」は、かつて五条楽園と呼ばれた遊郭があった街にある。近年はお茶屋を改装した飲食店や宿など、動き始めた街の中心的存在だ。

「生まれ育った浜松では銭湯に入ったことなかったですね。京都に引っ越してきて、暮らし始めた西院には『西院旭湯』『五色湯』と徒歩10分圏内にいくつも銭湯があって、巡るのが楽しかった」と振り返る湊さん。たちまちはまって、京都はもちろん全国の銭湯を巡るようになるのに時間はかからなかった。「今でこそ銭湯って若者の間でも使われるようになりましたけど、10年前はまだサブカルというよりはアングラ。カルチャーとしては取り上げられにくくて、ごく一部のコアなファンが楽しんでいる感じでした。ところがブログで全国津々浦々の銭湯を紹介しているマニアの会話がおもしろくて、全国のいろんな街に銭湯があるんだ、そういう世界があるんだって知り、実際に足を運ぶようになったんです」。現在までに訪ねた銭湯の数は700軒を超えるという。「街を歩いて雰囲気を知って、そこで銭湯に入るのが好きで。地域が感じられるのを楽しむ感じですね。ただ、巡るうちに、銭湯がどんどん廃業していくのを知ることになって。それを食い止めるため、何かしたいとは考えていました」。

男性用の浴場。深風呂、ジェット風呂、日替わりの薬風呂、電気風呂と4つの浴槽が用意されている。

120℃近いドライサウナ。出たところには18℃の地下水掛け流しの水風呂がある。

 卒業後は一旦アパレル会社に就職するものの、次々と廃業していく銭湯に居ても立っても居られず、会社を辞める決意をする。「とはいえ何をするかは具体的に決まってはいなくて、考えていたところに飛び込んできたのが、学生時代にバイトしていた梅湯が廃業するという話でした。そこでオーナーに会わせてもらって、僕がやりたいですと。厳しいからと反対されつつも、営業委託という形で任せてもらうことになったんです」。かくして24歳で自分の銭湯を手に入れた湊さん。「元々はお客さんの多い銭湯で修業して、30歳ぐらいで独立できたらって考えていました。でもいきなり本番というのは、手っ取り早いスタートだと。素人が辞めていく銭湯を復活させることができたら、どこでも通用すると、当時思っちゃって」。

女性用の浴場には、銭湯ペンキ絵師・田中みずきさんによるペンキ絵が描かれている。

 若くて相当な熱量を持っていた湊さんといえども、廃業寸前の経営状態が急に好転するわけがないのは想像に難くない。けれど現実は予想をはるかに上回る困難の連続だった。「設備の不具合や故障、お客さん同士のトラブルやクレームは後を絶たない。ロビーに寝泊まりして、薪の手配から沸かす作業、3時半から23時までは番台に座って、風呂掃除、事務作業、そして休みの日には修繕と働くけれど、売り上げは全然伸びない。『梅湯』を引き継ぐときに、いろんな銭湯のご主人から反対されたんですけど、3ヶ月くらいでそりゃ納得だわと。メンタルもやられました」。

湯を沸かすのは薪で。現在は複数の銭湯で使う薪の置き場を一箇所にまとめることで、効率化を図っている。

湯はすべて軟水の地下水を使っているため、肌へのあたりが柔らかい。

修繕を依頼した業者が悪徳で、故障は直らず代金だけを請求されるという事態も発生した。
「そのうち直らなかった漏水が悪化して、一晩で浴槽の水が空になる事態に陥ってしまった。これはもう無理だから1年経ったところで辞めようと心に決めて。そこで別の業者さんに頼んだらとても腕のいい人で、漏水がピタッと直ったんです」。これが情熱だけで辛抱を重ねてきた湊さんにとって大きな転機となる。「そのことで1時間ほど業務時間を減らすことができて身体が楽になった。すると余裕も生まれてきたんですね。自分にとっても快適な環境を整えたくて、トラブルの原因だった常連さんを出禁にしました。最初の1年はいつ辞めようかと考えていたけれど、大きな2つの課題をクリアにして精神的なストレスがなくなったことで、とりあえずいけるところまでやってみようと」。

ロゴが入った定番タオルは数あるグッズのなかでも一番の人気。反対側の端のデザインはシーズンごとに変わる。

「自分も銭湯の一ファンなので、グッズがあったら欲しいし、売り上げの足しにもなる。飲食店などの他の業界でどんなグッズが作られているかや、自分たちが欲しいかどうかが商品開発の重要な部分です。デザインは芸大卒のスタッフや、友人に頼むことが多いです」

 苦難の連続だった現実の一方で、若き銭湯活動家として注目を集めていた湊さん。雑誌やテレビなど数多くのメディアに登場して認知度を高めたこともあり、開業から2年ほど経って『梅湯』の経営は軌道に乗り始める。もちろん夏限定から始まって現在は週末の定番となった朝風呂のスタート、ファッション的な要素を兼ね備えたグッズを販売するなど、数えきれないチャレンジの積み重ねがそこにはある。遠方から足を運ぶファンもいれば、京都市内から通う常連も数多い。「銭湯って常連さんや店の人からも、生活臭を感じるのがらしさだと思うんです。地域に根ざして商売をする姿勢や、常連さんとのコミュニケーションがあること」と湊さん。全国区の知名度を誇るようになった現在も、浴室の壁に張り出された手書きの梅湯新聞や、あちこちに貼られた注意書きにらしさが漂う。

スタッフがそれぞれ手書きで描いた梅湯新聞は浴場に貼られ、コミュニケーションツールとなっている。

イラストで見取り図を描いた、それぞれの銭湯のリーフレットもある。他の銭湯への興味を湧かせる仕掛け。

 3年目のタイミングで煙突を新たにし、物置になっていた2階を改装して休憩スペースを作るなど徐々に軌道に乗りはじめた2018年、滋賀・大津にある『都湯』の継業へと進出する。その後、滋賀・大津『容輝湯』、京都『源湯』と、現在まで7つの銭湯を手掛けてきた湊さん。「そもそも最初の目標は日本から銭湯を消さないということ。『梅湯』がそのモデルになったから、他で通用するか試したいと考えるようになりました。京都にある『梅湯』って、やっぱり特殊で。最初からずっと取材が続いて、立地も悪くないから観光の人も多い。それを取っ払って、地方の小さい銭湯が再建できるのか挑戦してみたかったんです」と振り返る。

 

そこで白羽の矢を立てたのが、京都からもそう遠くない『都湯』だったというわけだ。「その頃には一緒に銭湯を残したいという仲間もできて、『容輝湯』や『源湯』ではチームを組んで再建に取り組むようになりました」。現在では東京、愛知、大阪と地域も拡大して7軒の銭湯を継業し、湊さんは経営者のスタンスで銭湯と向き合う。「銭湯を絶やさないという思いは最初から変わらないですが、内容っていう意味ではこだわらなくなりました。新しいお客さんを入れると古参の人たちは嫌がるけれど、昔のままを残すのは無理なわけで。そこは新陳代謝しないと儲けられないし続けられない。そのなかで銭湯らしさをいかに残せるかが鍵で、そのバランスは大切にしているところ」。

今では京都市内で一軒となってしまった瓶ジュース製造工場『南山鉱泉所』のひやしあめなど、ドリンク類も充実。

なぜか野菜も販売。「少し前までは界隈にスーパーがなかったこともあり、お風呂に入らなくても地域の人が足を運べる場所になればいいなと思って」と湊さん。

 銭湯業界にとって湊さんがいかに大きな存在かは、東京で人気の高い『小杉湯』さんの言葉から知ることができる。「銭湯業界は湊君の前後で語られるよねと言ってくださって、ああなるほどと。2015年くらいから銭湯業界がガラッと変わりました。今に続くサウナブームも起こりはじめ、テルマエ・ロマエもあり、うちと同じように銭湯を継業しているライバルが現れたり。メディア露出することで注目を集め、サウナブームに端を発してデザイナーズ銭湯が増えてきた、という感じでしょうか。『梅湯』も最近はロッカーが満杯で、平日から行列ができることもあります。僕自身も入れないこともある。ただ、ブームはメディアが作るものですが、ブームのうちにファンを獲得して、ライフスタイルに取り込ませるかはこちらの仕事かなと」。同時に継業も積極的に行い、手掛ける銭湯の数も今年中には10軒に手が届くという。「京都に今も残る銭湯は約100軒。大学に入学して京都へやってきた2010年代には180軒とか190軒とかあったので、半分近くに減ってしまっています。それはもう無茶苦茶もったいない。今の自分だったら、あそこもあそこも、もっと伸ばせる銭湯だったよなと。自分が出てくるのが5年遅かったと考えますね」。

今では現場に出ることは少なくなったというものの、番台に立つこともある湊さん。京都の入浴料は一律の490円。

 銭湯の未来に光を照らす湊さん。では彼がこの先に目指すものはなんだろう。「あくまで本業は銭湯ですが、リサイクルショップもやりたいし、喫茶店もやりたいし、海外にも行きたい。リサイクル品や古道具って、人から見るとゴミだったりするわけじゃないですか。そのゴミにどう価値をつけられるか、そういうのが好きですね。人から見れば価値のないものを、ちょっと角度を変えるだけで価値を創造できるところ。それを社会的に評価してもらう行為が好きなので、銭湯もリサイクルショップも通じる部分あると感じています」。

古い街並みが残る高瀬川沿い。ネオンサインがレトロさを醸し出す『梅湯』。中に入れば古いながらも手入れがゆき届き、そこに今っぽさを感じるグッズやポップが加わる。新旧、日常とちょっとした非日常のバランスこそ、既存の価値観に捉われず銭湯を愛し続ける湊さんを写しているようでもある。思わず入ってみたくなる銭湯の仕掛け人である。