深く、自分と対峙するからこそ、納得できる『書』が生まれる

2024年、7月。真夏の暑さを癒し、躍動させる「祇園祭」が行われる特別な1カ月。八坂神社の神事として、平安時代に「疫病退散」を願うことを目的にはじまったこの祭は、今では日本最大祭りの一つとして、京都人のみならず、他県や他国から訪れる人たちに愛されている。いにしえのときから連綿と続く祭を楽しむ人が多いこの時季、「小川珈琲 堺町錦店2階ギャラリースペース」で「書と珈琲」と題して、「書」に想いを馳せるライブペインティングが開催された。主役は京都在住の書道家/アーティストの新見知史さん。彼女の活動に迫り、「書」の奥深さについて話を伺った。

 

 

 

 

 

 

真っ白なシャツを身に纏った知史さんは、まだ何も書かれていないまっさらなキャンバスの前にひとり立ち尽くし、静かに「書」のイメージを思い描く。ふだんは半紙を置いたり床に紙を敷いたりして筆を用いて書くことが多いという。しかし、この日は特別な機会。黒と金色のアクリルの絵の具を丁寧に溶き、立体的に書くことに気持ちをぐっと集中させる。今回のライブペインティングのテーマは「珈琲の香り」だという。このテーマに辿り着いた背景には、どんな巡り合わせがあったのだろうか。

 

「『小川珈琲』さんの『スペシャルティ ドリップコーヒーギフト OCQHシリーズ』のパッケージに『書』のデザインをあしらいたい、というご要望を頂いたのがご縁の始まりです」

小箱と個包装それぞれに知史さんの「書」が躍動している(写真上はオリジナルの書)。上から自然の湧き水を使ってコーヒーを栽培している「コスタリカ サンタルシア農園」の豆を使用した軽やかな酸味と甘みが際立った「Costa Rica Santa Lucia[水]」。ブラジル東南部のコーヒー生産に適した土地にある農学者が管理する「ハイーニャ農園」。この土地で栽培された豆で作られた芳ばしい香りとやさしい甘さが特徴の「Brazil Rainha[地]」。コーヒーの“実の熟度”にこだわり抜いた「エルサルバドル ロスアルペス農園」の手摘みした実を用いられたしっかりとした甘さが特徴的な「El Salvador Los Alpes[実]」。それぞれがセットになった、贈り物にぴったりなシリーズ。

「『書』は何を書くのか、題材選びがとても重要です。そして、題材を自分に引き寄せて、自分なりに理解をしてから書くことも大切。このパッケージには、おいしい珈琲が出来上がるまでのストーリーを文字に表したいと思いました。そのために、コーヒー豆がどのような過程を経て作られるのかをいろいろと調べました。最終的に文字に落とし込むときに、コーヒーの実が熟し、綺麗に連なった状態を思い浮かべたりしたりして…どんどん自分の中でイマジネーションを育てていくんです。実際、『小川珈琲』さんの本社に打ち合わせで訪れたときに、会社に近づくにつれて、珈琲のとってもいい香りがして、その芳醇さに驚きました。同時に珈琲を淹れる職人の厚い技術にもいたく心動かされて。今回のライブペインティングでは、『小川珈琲』さんが大切にされているメッセージと京都の今を表す言葉を書きおろしたいと思いました。平面に書くのと立体に書くのではだいぶ趣が異なります。文字を立体的にしたときにどうなるかをイメージしながら書くことが肝心で。今日は縦に文字を書いてみました」

ひとつひとつの文字にぐっと集中し、「トメ、ハネ、ハライ」に魂を吹き込む。知史さんの知見や感性が文字や余白に表現されるダイナミズムは圧倒的だ。

単語を書く順番も独特だ。今日、書いていた「珈琲職人」という言葉は「琲」という文字から書き記し「祇園祭」という言葉も「祭」という一語から。こうした選択もまた、知史さんなりの「書」のスタイルと言える。

「1画、1画、書いていくのですが、全体を引いてみたときにどういうふうに見えるのかをものすごく考えます。それに付随して、どの言葉から書くのかを熟考しますね。全体的に『中心はどこなのか』『真っ直ぐ書く部分はどこなのか』を常にイメージしています。抽象画を描くときのように、筆を動かしながら徐々に完成させていくようなプロセスと違い『書』は『ちょっと、ここだけ消していいですか?』と言えない一発勝負。だから、何度も練習してイメージして、全体を組み立てます」

文字を書くことは多くの人にとって日常的な行為だが、感情や思い描くイメージを筆にのせて文字の細部にしたためることは簡単なことではない。「書」の本質に迫るには、とてつもない鍛錬が必要になってくる。知史さんはどのようなプロセスを歩み、表現活動を続けているのだろうか。

 

「やはり、いかなるときも何度も書くことで、見えてくるものがあると思っています。だから、思い浮かんだイメージを頼りに何十枚、何百枚と書いていくんです。気がついたら半紙が山盛りになっていることはしょっちゅう。そんなに簡単には生まれてこないもので、泣きながら書くこともあります。たとえ、締め切りが迫っていても、いいイメージが降りてこなかったら一旦、手を休めてお茶の時間を持つようにしていて。気持ちを仕切り直して落ち着いたタイミングで取り組むようにしているんです」

 

自身が想い描く「書」は、衝動だけでは生まれてこない。記憶や体内にあるイメージを少しずつ丁寧に掬いとり、造形としての完成度を突き詰める作業が伴うという。

「書いていると『この部分だけ、好き』というポイントがあるんです。全部が完璧ではなくとも、よいポイントを掬い取り、そこから造形を組み立てることがあります。冷静に判断するために昨日できたことをバーッと壁に貼って、何十枚と並べるんです。昨日OKでも、翌日の朝に眺めて『あれ?』と首を傾げることも多々あります。それから、最終調整をして、納得した“最後の1枚”を提出します。仕上げた瞬間、嬉しくて泣いてしまうこともありますね」

ときに、途方に暮れながらも「書」と向き合う。地道な時間はプリミティブな「祈り」のように思えてならない。

 

「『禅書道』と言って、瞑想に近い境地で集中して自分と、静かな時間と向き合うわけです。だから、ものすごく孤独だし、地味な作業なんですよね。今日いただいたようなライブペインティングの機会は華やかな舞台。対して、ふだんの時間は“修練の時間”と言えると思います」

知史さんはアーティストとしての活動のみならず、書道教室を主宰している。日本人だけではなく、外国籍の生徒に教える機会も多い。“世界を旅する書道家”としての一面もある。台湾、インド、ハワイ、スペイン、ドイツなどに書道道具を持参し、ワークショップをすることもある。

「世界に出ることによって、普段、地味にやっていることが “静”から“動”に変わります。字は筆順が決まっていたり『トメ、ハネ、ハライ』のルールや決まりがあったりするもの。けれど、外国籍の方はその知識がない方がほとんどだから、本当に自分の好きなように書くんです。この書き方も『アリなの?』と思うような。彼、彼女らにひとつ一つ書き方や書き順をじっくり説明してから取り組んでもらうと、みなさんとても集中してくださるんです。そうした時間を過ごすだけではなく、自分が書いた文字を持ち帰れることにも喜んでいただいています」

 

知史さんは、日本人にとっても「書の時間」は自分という人間を高めるいい機会にもなると語る。

 

「生活の要所要所で『書くこと』って出てきますよね。それもあって、最初の入り口として『自分の名前を綺麗に書きたい』という方もいて。自分の字が好きではなくて、自分の字を愛せるようになりたい、という気持ちから体験しに訪れる方がいらっしゃいます。私の教室は『自分の字が大好きになる書道教室』なんです。それができるようになると、次はお礼状を綺麗に書けるようになりたい、と欲が出てきて楽しくなってくるんです。日本語って、話し言葉と書き言葉を使い分けている文化で。やっぱり、手書きの手紙は非常にインパクトが強い。その人の文字を見ただけで、その人が浮かぶようなものがある。だから、みんなそれがとても大切ということがわかっているんですよね。そうした想いを個々人が育くんでくれることに喜びを感じています」

 

「書」を求める人たちとの交流によって、日々、いろんな気づきが生まれ、作品制作に生かされているという知史さん。「伝統と革新」が生まれる京都という土地で、文化圏が異なる地で、静かで、深い、コミュニケーションが醸成されていく。