素直にシンプルに、ただただ自分の手でできることをやっていきたい
「カンカンカンカン」。アコースティックな音が、浄土寺エリアのローカルなストリートに静かに響き渡る。工房で黙々と銅板を打ちつけるのは、金工を生業にする中根嶺さんだ。道ゆく人たちは、彼のことを知らずとも、ものづくりに向き合う佇まいや工房のしつらえに惹かれ、扉を開ける。中根さんが作り出すものの魅力に触れると、その源泉を知りたい衝動に駆られる。彼が作業する工房を訪ね、制作に注ぐ情熱やこれまでの足跡について話を聞いた。
京都市左京区浄土寺エリアにある工房兼ギャラリー「Ren」。もともとは八百屋だったという古い建物。賃貸物件として出されているのを見つけ、中根さんが手間ひまをかけて理想の空間にリノベーションした。展示会やイベントを催す際にオープンしている。
薬缶、ドリップポット、調理鍋、ランプシェード……一目見ただけで惚れてしまう品のあるなめらかな曲線と丁寧に磨き上げられた銅のテクスチャー。中根さんがつくり出すものの細部をこの眼で確かめようと、まじまじと見つめてみる。すると、“リズムのある痕跡”が宿っていることに気づく。工業製品にはない、人の手でつくられた息づかいとあたたかな佇まい。それだけではない。中根さんの柔和な雰囲気までも、ふわりと乗っかっているように見えてくる。語らずして、もの語る「意匠」。このプロダクトが空間に存在したら、日常の風景がどれだけ美しいものになるだろうか。そう思わせる、人の心に刻みこまれるものをつくり出すまで、中根さんはどんな道のりを歩いてきたのか。
「僕の地元は滋賀県の東近江市というところで。父が陶芸を生業にしていたので、窯を焚くことができる山奥で暮らしていました。3歳くらいの頃から、石や木を拾ってきて、思いつきで何かを作るという遊びが大好きだったんです。実家では、犬を飼うような感覚で馬と暮らしていて。あるとき、馬の脚が折れてしまい、安楽死させるしかなくなってしまったんです。どうしようもなく受け入れ難いかなしい出来事が起きたとき、河原で拾った流木を組み合わせて馬の形にして馬小屋にたむけました。そのときに自分にできることはそのくらいしかなかったんです。ものづくりをしたいという気持ちは、そんな幼少期の体験の延長線にあるように思います」
透き通った優しい瞳を輝かせて大切な記憶を語ってくれた中根さん。ものをつくることは、日々の暮らしの中にあり、高校は京都の美術系の学校を選んだ。卒業後は自分のやりたい道がなかなかひとつに定まらず、大学進学を選ばずに東京に上京することにした。
「父親から『陶芸を継ぐのはどうか』といつも言われていました。けれども、当時は反抗期の延長線にあり『自分の仕事は自分で見つける』みたいな気持ちが強くて(笑)。若かったので、周囲に山しかないような環境から飛び出したいという衝動が心にずっと潜んでいました。あるとき、『ガラス素材を使ったものづくりや家具作りが気になっている』と父に話したら、『ガラスは窯の焼成費の維持費がかかるぞ。家具は設備投資が大変だ』とあれやこれやと言われて。食べていくのが難しいと言われても、そもそも自活したことさえなかったので大学に行かず、東京に出たんです」
あらかじめ決められた未来に興味が持てず、自分で探したいろんなアルバイトを経験した。
「舞台美術に興味を抱いていたので、そういう仕事もやってみたりしました。いくつかの経験を経てわかったことは、自分の手で持ち上げられるくらいの規模感のものづくりの方が性に合っているということでした」
自身の持ち味に気付いたときに巡り合ったのが、アクセサリーや革小物を販売する「I C H I」という会社だった。
「求人情報が出ていたんです。普通に求人が出るくらいだから本当に流れ作業の1部くらいなのかと思っていたらそんなことはなくて。小さな会社だから職人がものを作るだけではなく、デザインをしたり、接客をしたりする。要は一から十までひとりの人間が担うスタイル。そこで初めて金工に向き合うことになりました」
比較的手先が器用な自覚はあったが、初めての金属加工の難しさに正直、面食らってしまった、と当時を振り返る。
「金属は基本的に素手で加工ができないから、道具を介して素材に触れるという特徴があります。バーナーを使って金属を加熱し、素材を切るときは糸鋸を使い、叩くときは金槌を用いる。僕がそれまで実家や彫刻の授業で触る機会が多かったのは粘土でした。自分の手を使って直接的に成形していくことに慣れていたので、金属を加工する技術は自分の引き出しになかったんです。だから、道具の使い方を覚えるところからスタートしました」
中根さんが会社で最初に関わったのは、鍛金(金属を金床にあて金槌で叩くことで形を変えていく技法)や鍛造(加工物の強度を高めるために金属を叩いて成形する加工方法)で結婚指輪を作るという仕事。鋳型や大きな機械を使わずに作業するやり方だ。コツを掴むまでにそれなりに時間がかかったという。
「たとえば糸鋸は変に力をかけると簡単に刃が折れてしまいます。金槌で叩く加減は、どのくらいがちょうどいい塩梅なのかを体得するのが難しくて。最初のうちは、慣れないのですぐに疲れてしまうんです。コツさえ掴めば、全然疲れないんですけれどね。のっけから、何もできない自分がすごく悔しかった。思えば、それが金工にのめり込む大きなきっかけになりました」
自分が望む形をつくれるようになりたい。それがいちばんの原動力になった。
「ほかの工芸的な素材に比べると、金属はすでに一次加工された材料なので素材自体に個性を感じることが少ないように思います。元を辿れば鉱物が製錬され不純物が取り除かれて金属になります。現代ではその精錬の技術度が高く、良くも悪くも均一な金属に仕上がります。銅と銀など種類の違う金属は性質も異なりますが、同じ銅であれば一緒です。たとえば、木と比べてみると分かりやすいかもしれません。同じクスノキでも全然木目の詰まり方が違ったりしますよね。金属はその分、手を加えた人の加工がそのまま素直に出るんです。力のかけ具合で凹み加減が決まりますし、綺麗に磨き上げている金槌で叩いたら綺麗な表面になります。錆の出た金槌で叩いたら、その錆の凹凸を写しとります。そうやって素材に向き合う時間が、自分にとって、とても豊かな時間なんです」
一打一打、一削り一削り。手の動き、力加減、そして、道具の管理や選び方で形と表情がつくられる。緻密さと美観のセンスが備わった中根さんのデザインは、どのようなプロセスを経て着地するのだろうか。
「実際に画を描くこともありますが、手を動かしながらフォルムの方向性を見出すことのほうが多いですね。作っている途中の段階で、『この形、面白いな』と思ったら、その状態を頭の中で記憶しておきます。次に作るときに、あの感じの雰囲気で作ってみたらどうかな、と手を動かしてみる。そうして、もうちょっと丸みをぷっくりと出してみたりして、やりながら好きなフォルムを探っていくんです。銅や銀などの金属は陶器や木に比べて堅牢な分、ものが残り続けます。たとえ、野晒しにしたとしても変色するだけで形は変わらず、自分の仕事が残り続ける。だから、なおさら長く使い続けたくなるデザイン、構造や機能を大事にしたいと思っています」
美観と機能美。その両方のバランスが整ったものを、中根さんは追い求める。
「優れている素材を用いて、簡単に潰れない構造や使い勝手の良い機能をデザインする。それだけでなく、現代の生活に馴染んで、毎日、手に取りたくなるような美しいものを作りたい。見た目と素材が良くても、お湯を注ぐときにショボショボとしたタッチになって、うまく注げないなんてことがないように。そのバランスは常々意識しています。日々、よりよいものづくりができるように、技術とセンスを高めていきたいと思っています」
そう言って、微笑む中根さん。型や機械は使わず、手で作ることにこだわり、腕を磨くことに情熱を注ぐ。譲ってもらった機械は手元にあるものの、その出番はいまのところは無いと言っていい。
「機械を使った『ヘラ絞り』という技術で作る場合は、金型に沿って形が出来上がります。作業的にもすごく早いし、均一に作れます。でも、自分にとってはなんだか冷たい印象を纏ったものが出来上がってしまう気がしています。だからこそ、自分の手で叩いて作ることにこだわりたい。僕自身、ものを見るときにどういう人が、どんな想いで作っているのか。ものづくりの背景を想像させてくれるものが好きなんです。手で作られたものや古いものは、背景が想像しやすくて、シンプルに気になります。経年したときの佇まいも好きですね」
使用して1、2年経つという薬缶。「経年する様子を見ていると“生き物”に思えてきます」
金工では、実用のもの以外にオブジェも作る。ときには、木彫でオブジェをつくることもある。実用的なものとオブジェでは、つくるうえでモチベーションが違うのだろうか。
活動をはじめてすぐに作ったという「クジラLamp」。「Ren」のロングセラーになっている。
「どちらも形として面白いものを作りたいと思っています。自分のことをアーティストと思っていないので、つくるオブジェもアートと捉えていません。木彫は趣味のような感覚で細々とやっています。ちょっと前までは『金工の作家』ということにこだわり、金属に絞ったものづくりを一生懸命やったほうがいい、という意識がありました。けれども、人をモチーフにしたいと思ったときに、表情を表現するときに金属では難しいと感じることがあって。そういうときは、あえて金属にこだわらなくてもいいんじゃないかなと最近、思えるようにました。もうちょっと、自由になってみよう、と」
足枷を外し、気持ちの赴くままに手を動かす。そのときに気づいたことがある。
「木という素材も硬くて、彫るのに時間がかかる。彫刻刀や木彫ノミなど道具を介して素材に触るという意味では、金属と似たようなところがあるんです。直接触れられない素材の方が、性に合っているとわかりました。加工の難しさがある素材を自分がイメージしているものに近づけていく行為。そこに没頭しているんだな、と」
難しさがあるからこそ、創造力が掻き立てられる。これからチャレンジしていきたいことを中根さんに問いかけてみると迷いのない、削ぎ落とされた言葉が返ってきた。「素直にシンプルに、ただただ自分の手でできることをやっていきたい」。ものが溢れている時代だからこそ、つくり手が心から楽しみ、丁寧に作ったものを届けることが、確かなメッセージになる。中根さんの清らかな想いがものに宿り、日常をきらりと照らしてくれるのだ。