アメリカン・モーニング

少し前に訪れたロサンゼルスでは、パサデナという閑静な住宅街にある知人宅に1泊した。翌朝は旅の興奮も冷めやらず、まだ外が薄暗いうちに目が覚めてしまい、しばらくベッドの中でぼんやりしたり、もぞもぞしているうちに腹が減ってきた。近くで眠っている友人に声をかけると、彼もさっき起きたらしい。急いで着替えを済ませ、2人で早朝のパサデナの街に飛び出すことにした。

 

これから出勤するのであろうメキシコ系のブルーワーカーと思われる男性、犬を散歩する白人の女性。そんな人たちとすれ違いながら住宅地の歩道をぶらぶら歩く。目的地は決まっていた。オールドスタイルのコーヒーショップが知人宅の近所にあるはずなのだ。そのコーヒーショップまで歩いて15分ほど。店に入ると既に店内は近所の常連客と思しき人たちで賑わっていた。

 

老婦人に案内されテーブルにつくと、ぼくらの座った席の奥のほうでは黒人のおばさまたちが何やら楽しそうな話に花を咲かせていて、後ろの席では小さな女の子を連れたお父さんが朝食を食べながら、わが子の頬にキスをしている。席に着いただけでまず、大ぶりのぽってりとした形のマグカップになみなみとコーヒーが注がれて出てきた。メニューをざっと眺めてみる。おなじみのパンケーキに、スクランブルエッグとトースト、朝食だというのにTボーンステーキなんていうのもある。友人はグリルド・チーズのサンドイッチを、ぼくは目玉焼きが2つにベーコンが2つ、ハッシュブラウンにパンケーキのついたファーマーズ・ブレックファーストを注文する。

 

早速料理が運ばれてきた。すごいボリュームだ。ナイフとフォークでパンケーキを切り分け、卵やベーコンと一緒に口に運び、コーヒーを啜る。このとき初めて気が付いたのだが、コーヒーはいわゆるアメリカンで、その味に特に個性というものはない。だが、むしろその個性のなさが脂っこい料理にぴったりで、料理に合わせてどんどんコーヒーも進む。そう考えると個性のない薄味のコーヒーというのは、アメリカン・ブレックファーストにとって最良の相棒なのかもしれない。

 

やがて食事を終えひと息ついていると、コーヒーの量が半分くらいになったマグカップを目ざとく見つけ、すぐさま給仕の老婦人がすぐにコーヒーを注ぎに来た。しばらく友人と談笑していると、ぼくのコーヒーがまた少し減ったのを見つけ、老婦人がまたコーヒーを注ぎに来る。「No,Thanks」と言ってマグカップを手で塞ぐ身振りをする。たぶんここに座っていれば、永遠にマグカップにコーヒーが注がれるのだろうか。あたりを見回すと、家族連れが店に入りきらずに外で席が空くのを待っていた。

 

今日は土曜日で、週末ともなればこのあたりの人びとは家族でこの店に朝食をとりに来るのだろう。この店では、コーヒーという飲み物が時間の豊かさの象徴のように真ん中にある。人びとは家族や友人たちと会話を楽しみ、のんびりと朝食をとり、コーヒーを何杯もおかわりしながら週末の計画を立てるのだろう。そんなアメリカの精神的な豊かさに触れたひとときだった。