あの日のアイスココア、今朝のコーヒー

 進学のため移り住んだ愛知で、モーニングという言葉を初めて知った。コーヒー一杯に、トースト、ゆで卵、ミニサラダが付く。故郷の長野では考えられない気前のいいしくみに魅了され、モーニングをはしごすることもあった。夕方までお腹が空かないので、お金のない学生の身に、朝のはしごは天国なのだ。

 

 とはいえ仕送りを受ける分際で、そうそうはしごはできない。だから、いつしか夢ができた。

 給料をもらえる身になったら、絶対コーヒーチケットを買おう。10枚綴りで11杯飲めてお得だし、財布を気にせず、好きなだけモーニングをはしごできる。

 

 名古屋市内に就職すると、仕事の休憩時間に毎日近くの喫茶店に行った。職場の先輩たちもみなそうしていて、それぞれに行きつけがあり、チケットをレジに預けている。

 上司が通う店は避けたいので、新卒組はどうしてもあまり人気のない店になってしまう。私が人生で初めて憧れのチケットを買ったのは、夜はスナック、昼は喫茶店という、酒ヤケした声のママがひとりで営む間口の狭い店だった。

 椅子は褪せたワイン色のベルベット地で、カラオケセットがあり、仕事をリタイヤしたおじさんたちが常連だ。

 ところが初回に飲んだコーヒーが苦くて、口に合わない。だから1年中アイスココアを頼んだ。ハーシーズを湯で溶いてガムシロを足し、最後にチョコレートソースをかける。子どもが喜びそうな甘い甘い味。「甘さ控えめで」といいたいが、いつも取り巻き組とのおしゃべりに忙しそうなので、言葉をのむ。そのうち甘味に体が慣れ、気にならなくなった。

 

 休日は、アパート近くのお気に入り2軒に通う。一軒はモーニングに目玉焼きがついてくる豪華版。もう一軒は石焼の深い器に盛られるオリジナルのナポリタンが旨い。

 不思議なことに、土日はコーヒーが飲めた。どちらも深煎りの苦味がきいていた。

 

 今思うと、仕事の合間、限られた時間に飲むには、あの甘いココアが良かったのだ。

 リラックスした休日は、コーヒーの豊かな香りや奥深い旨味を味わえる心のゆとりがある。

 自覚はなかったが、社会人になりたてで毎日がいっぱいいっぱい。自分なりに緊張していたんだなあと、コーヒーの記憶をたぐりよせながら気づく。

 

 当時、付き合っていた彼も、チケットを取り置く行きつけが自分の街にあった。私が「おいしい」と褒めると自分の手柄のように得意げな顔になった。

 

 時間差で上京し、やがて結婚。東京で越す先々に行きつけができ、8回越した今の家でも、週1、ときに週3回朝、喫茶店に行く。仲がいいですねと時折言われるが、会話などない。ぼーっとして、人が煎れてくれたコーヒーの香りに包まれながら夫はスポーツ新聞を、私はスマホやら持参した文庫本を読む。そして、「じゃあ」と互いの仕事場に向かう。それだけだ。

 

 私達が通う店は古くて一切の洒落っ気がない。壁紙は飴色、自家焙煎する日はもうもうと煙が立ち込め、息苦しい。店主は愛想がないが、香り豊かなひとときを受けとめる心の隙間がなかった若い日と、甘い甘いアイスココアが、今日のコーヒーをおいしくしてくれている。