海辺で飲む異国のコーヒー
そこで目にするすべてが未知だった。
23歳の頃、仕事でドバイを中心に1ヶ月滞在することになった。当時の私は、学生時代に数日間、韓国での詩祭に参加したことが唯一の海外体験。アラビア語もイスラム教文化も知らないまま、現地で見聞きする全てを吸収していった。
ドバイを中心にUAEのあらゆる街やスポットを巡った。マンディ(アラブ風炊き込みご飯)や巨大な揚げ魚を手づかみで食したり、アバヤに着替えてモスクでお祈りの体験をしたり、数々の「洗礼」を受けた。
その一つが、ドバイで飲んだ「アラビックコーヒー」だ。おちょこのような小さなカップで飲む。横には、タジン鍋型の器に、デーツが山盛り積まれている。器は金色にふちどられ、豪奢な雰囲気。トレーに載せて運ばれてくるのだが、そのトレーまでも黄金色に輝いていて「どんだけ金が好きなの」と苦笑してしまう。
さて、その味は……? 正直言って美味しくはない。色も味も薄くて水っぽい。そして舌に残る独特のカルダモンの風味。どうやらアラブのコーヒーは、豆よりも、スパイスを重視するらしい。あまりに自分が知っているコーヒーから程遠い。クセが強すぎて、最初は口をつけるのが精一杯だった。
定番のお茶請けは、ナツメヤシの実「デーツ」。実は栄養満点で、貧しく食べ物がなかった時代にも、デーツ一粒とラクダのミルクだけで一日十分に活動できたという。ホテルのロビーにも、デーツが木箱に盛って置いてある。 味は日本の干し柿をさらに濃厚にしたような感じ。まったりとした口当たりと、黒糖のようなアクの強さを持つ。果肉を噛むと、しずく型の種があらわれる。キャラメルに似たソースを絡めたもの、干し葡萄のような黒、赤茶色に透き通るもの、見た目も味付けも様々だ。
滞在中は、ことあるごとに「お茶の時間」が入ってくる。旅程表を手に、私たち日本勢が「もう時間がない!」と焦っているときでさえ、「さあ、お茶の時間にしよう」と必ず食後にティータイム。何を話し合うときもお茶と共に。それは彼らのおもてなしであり、心通わせる大切な時間なのだ。まあ、「アラブ時間」で行動する彼らにとっては、次の予定に遅れようが、全てが「インシャ・アッラー(神の思し召しのままに。つまり「遅刻したのは神の意志だ」という意味)」かもしれないが……。実際、「明日の予定は?」「これについてはどうなるの?」と何か尋ねる度に、平然と「インシャラー」と返される。神がそう言うなら仕方ないか、と諦めるしかない。この価値観と厳格なイスラム教の規律が、現地では違和感なく共存しているのが面白い。
イスラム教社会において、お酒はもちろん御法度。代わりにコーヒーは大好き。夜11時を過ぎても、水タバコをふかしてカフェで談笑するエミラティを大勢見かけた。ドバイには外国人労働者も多く、中東の多様な食文化が集まってくる。慣れない手食に苦労した後の濃厚なターキッシュコーヒーや、モロッコ風のミントティーの味も忘れがたい。
UAEの東端、オマーン湾に面するフジャイラを訪ねたときのこと。ビーチに居合わせた現地の30代くらいの男性がアラビックコーヒーを淹れ、私たちに振る舞ってくれた。「僕は日本が大好きなんだ」。簡易的な道具を用いて、不安定な砂浜とビニールシートの上でコーヒーを器用にカップへ注ぐ。海辺で飲むアラビックコーヒーは格別だった。
近くで遊んでいた娘さんと奥さんがやってきて、静かに挨拶をしてくれた。私たちは砂浜に円形に腰掛け、カップを回しながらゆったりとコーヒーをすすった。波音と共に、温かなアザーン(礼拝の呼びかけ)の声が響いている。
この瞬間、世界は完全な形をしているに違いない。その中に自分もいる。夜の藍色がゆったりと空に膨らんでいった。