吉川さんの時間

京都は且坐喫茶の街だ。まあ、ちょっと座って、お茶でもおあがり。だから、そこらじゅうに、そんな風な場所がある。

 

ぼく、園子さん、うまれたての息子一日(ルビ・ひとひ)。一家三人にとって、Hi-fiカフェ、がそれだった。

 

中京の住宅地の、細い路地の奥にある、京町家のお座敷。広々とした畳にはちゃぶ台が四つ置かれ、板間には木製のカウンター。棚にはぎっしり、旅関係の書籍と、四千枚以上あるという、世界じゅうから集まってきたLPレコード。

 

混み合う、ということがなかった。家に冷房のない僕ら一家は、夏場はほぼ毎日このカフェに通いつめた。一日はこの畳で昼寝し、ここではじめて階段をのぼり、はじめてアイスクリームを口にし、ボサノヴァやサンバの味をおぼえた。親戚の誰より、一日と会うことの多かった店主の吉川さんは、「これじゃハイハイカフェですね」と苦笑していた。

 

自家焙煎のネルドリップ。吉川さんは一杯のコーヒーに15分の時間をかけた。気取りや拘りでなく、これ、と納得のいく一杯を淹れようとすると、どうしても、それだけの時間がかかってしまう。カウンターでぼくは、ブルース・チャトウィンの紀行などひらいて、悠々その時を過ごした。お客さんはみな心得ていて、畳であぐらをかき、黙って音楽に身をゆだねた。スマートフォンに見入るひとは驚くほど少なかった。

 

「おまたせしてすみません」

 

エプロン姿の吉川さんが、お盆を手に、すり足でやってくる。ひとり目がコーヒーをすすりだすと、店内に、二杯目の豆を挽くミルの音がひびく。昼寝中の一日がむにゃむにゃと目をあけ、すぐにまた、寝息をたてはじめる。

 

何度か、音楽の会を開いた。コロンビア製の蓄音器「コロちゃん」と古いレコードをもちこみ、モダンジャズやロックンロールを爆音で響かせた。吉川さんも蓄音器をもっていて、それは「コロ助くん」と命名された。2台のデュエット、輪唱の声は、あれから何年経っても耳の奥にこだましている。

 

いま京都にHi-fiカフェはない。吉川さんは東京で、焙煎した豆の通販をはじめた。たまに書店やイベントスペースでコーヒーを淹れているらしい。ていねいな仕事ぶりは、賭けてもいいが、寸分も変わっていないだろう。

 

京都で、あの店になじんだひとにはわかっている。コーヒーとは、飲みものでない。豊かに流れる、特別な時間のことだと。

 

だから、店がなくともかまわない。ぼくたちのからだには、吉川さんの、Hi-fiカフェのコーヒーが、いまも、淹れたてのまま、ゆったりと流れている。