ホッパーと夜のコーヒー

アメリカの画家エドワード・ホッパーの最も有名な作品に『ナイトホークス』というのがある。煌々と人工的に照らされた深夜のダイナーの一風景を描いた絵画で、赤いブラウスを着た茶髪の女の横には、紺のスーツとグレーの帽子、青いシャツを着た夜鷹(ナイトホーク)の男が座っていて、その二人に向き合うように背を向けている寡黙な男、そしてカウンター越しには白い制服姿の店員が手を動かしながらカップルの相手をしているというあの絵だ。

 

シカゴの美術館が所蔵しているこの絵を、ぼくはアメリカに住んでいた頃に何度か見たことがあった。今から80年前の第二次世界大戦の最中に描かれた作品であるのに、なぜか戦時中の緊迫した気配はまったく感じられず、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジ辺りを夜更けに歩くと、このような場所にふいに出くわすことがあったのだろうなと思い描いてしまうほど、その光景はいつ見ても何かを語りかけてくるような説得力のあるオーラが感じられた。

 

『ナイトホークス』は一般的に “大都市の孤独” をテーマにしているとされているが、もし「コーヒーにまつわる絵はどれか?」と聞かれれば、ぼくは真っ先にこの絵のことを思い浮かべてしまうだろう。それはなぜかというと、カウンターに座った彼らの前にコーヒーカップが一つずつ描かれているのに加え、カップかスプーンを置く時のカチャっという音だけが聞こえてきそうな中、そのコーヒーをさらに強調するかのように画面の右側には二つ並んだ銀色のコーヒーメーカーが丹念に描かれているからだ。

 

そういえばホッパーは、この作品の他にも同じような夜のカフェを描き、そこでもコーヒーを登場させている。『オートマット』という1927年の作品で、黄色の帽子を深めに被った若い女性客が、片手に持ったコーヒーカップを物憂げに見つめているという絵だ(ちなみにタイトルは自動販売機式のカフェのことを指す)。店の入り口近くに置かれた丸いテーブルで、冬物の緑色のコートを羽織り、左手だけまだ手袋をしているのは帰宅途中にひとときの暖を取ろうとしているからだろうか。しかし明るい店内とは対照的に、この女性はどこか世の中のすべてから取り残されているかのようで、その行き場のないような状況は『ナイトホークス』に通ずるものがあるのだ。

 

ホッパーの絵に描かれた人々は、みな自分の中に閉じこもり、他者と視線を交わすこともせず、ただあてどもなく時間をつぶしている。そして、そんな彼らをその場に留まらせているのが一杯のコーヒーであり、それが最も信頼のおける友人というか心の拠り所として描かれているのである。ホッパーは実際の情景を描写するのではなく、自身の心象を反映させて描いていたことで知られているが、他人に介入されたりすることをひどく嫌っていた孤高の画家のコーヒーへの思いが切なく伝わってくる。

 

そして、今これを書きながら思い出したのだが、ニューヨークに住んでいた頃、夜のダイナーにたまに一人で行ったことがあった。過剰なくらい明るく照らされたカウンター席で、ボリューム感たっぷりのハンバーガーとフレンチフライ、ピクルス、コールスロー、そして薄いコーヒーを何度かおかわりしながら、特に目的もなく目の前でまめに働く店員をぼんやり見ながら過ごしていた。当時は意識したことなどなかったが、『ナイトホークス』と『オートマット』に描かれたコーヒーのシーンが心に刻まれてからというもの、外で夜のコーヒーを飲むとホッパーが描いたあの孤独な人々のことを思い浮かべてしまうのである。