コーヒーが与えてくれる「すき間」

日本でも広く親しまれるモカ種の産地として知られるエチオピアでは、南米やアフリカ他国と比べて、自国内でのコーヒー消費量が高い。生産量の約半分近いコーヒーが農園での仕事に従事する人々たちを含む、市井の人々の日常生活のなかで嗜まれているという。集落でコーヒーを淹れる際には必ず隣近所の住人たちを誘い合い、数人で集まって飲む。複数の民族や、宗教をもつ者たちが混在する集落において、彼らがひとところに身を寄せあい、茶飲み話に興じることも少なくないそうだ。つまり、エチオピア人たちにとってコーヒーは、外貨を稼ぐための商品であり、同時に一息つくための嗜好品でもあり、宗教や人種、考え方の違いを越えるコミュニケーションツールでもある。生活の根本にある商品に多面性があることは、彼らの生活に経済原理では覆い尽くされない「すき間」が存在することの証でもある。

 

日々行われる彼らの「寄り合い」は、われわれの社会ではカフェや喫茶店という場において経済活動の一部に組み込まれている。テーブルに着き、コーヒーを飲んで時間を過ごすには幾ばくかの金銭が必要で、第三者と会話をする機会はなかなかおとずれない。そこでは一杯のコーヒーだけでなく、雰囲気や流行も売り物に含まれ、そういった付加価値によって客層はフィルタリングされている。スタイリッシュな空間では特定の客層が店内のしつらえとして取り込まれ、階層や価値観の異なる者同士が交わることは滅多にないだろう。さらには、寄り合いやコミュニケーションの場である、ということすらも商品価値として売り出す企業もあらわれ、もはやどこまでが商品の領域で、どこからが消費を介さない領域なのか不明瞭になりつつある。

 

たとえば、日々SNS上で無数に交わされる「いいね」の数々は贈与なのか。ボタンを押すことで気持ちを伝えるという無償の行為ではあるが、そのボタンは私企業が用意したシステムであり、それらが数多く交わされることでプラットフォームは価値を増し、高い広告価値を得ることができる。ポイントカードは、日々店を利用してくれる客への企業からの返礼ではなく、店を選ぶという自由意志の囲い込みでしかない。思いやりの交換すら実は労働の一部であるという「すき間」のない世界に私たちは生きている。

 

エチオピアでのフィールドワークをきっかけに、わたしたちの日常生活や社会との関わりを相対的に考えた人類学者は「うしろめたさ」というキーワードを持ち帰り、経済原理でがんじがらめにされた社会と関わり直すきっかけとして提示している。自分だけが豊かで、得たものを独占することにうしろめたさを感じるとき、はじめて経済活動から逸脱した、贈与を介した人間関係が生まれる。その象徴のひとつがエチオピアと日本をつなぐコーヒーであることは、このコラムの読者にも大きなヒントを与えてくれるだろう。

 

そもそも価値の計りにくい嗜好品であるコーヒー豆は、多くの情報や付加価値をまとった商品だ。それらのラベルを剥ぎ取り、社会問題を語るツールとしてモカを利用することだってできるはずだ。かつてイギリスのコーヒーハウスが階層を超えて政治が語られる社交場として機能していた頃のように。

エチオピア イルガチェフェ モカ
コーヒーの起源と言われているエチオピア。そこで生まれた豆のしわは、コーヒーの歴史を刻んでいるかのようだ。イルガチェフェはエチオピアの中でもかなり絞られたエリアで、標高の高い場所。透明感のある豊かな香りと酸味は絶妙に調和していて飲みやすい。ぜひストレートでゆっくりと時間をかけながら飲み進めてほしい。