「ジューク・ボックス哀歌」
「ジュークボックスにS&G(サイモン&ガーファンクル)の曲が目につくと、北だ」。
コピーライターの秋山晶が「キューピーマヨネーズアメリカン」の広告に寄せたコピーだ。同商品のシリーズ広告は、具体的な商品説明を一切廃し、日本人がイメージするアメリカ、その情景が浮かびあがる、短編小説の断片のような言葉で埋め尽くされている。冒頭のコピーもまさにその典型で、ジューク・ボックスも、サイモンとガーファンクルも、1980年代当時の日本人にアメリカを連想させる単語、アイコンだったようだ。
この短いコピーからはいくつかのことがうかがい知ることができる。まず、アメリカ南部と北部とでは好まれる音楽が異なり、その分水嶺がサイモンとガーファンクルであるらしい、ということ。もうひとつは、北へ向かう旅路の中、いくつものダイナーやコーヒーショップにジューク・ボックスが設置されていたということ。今アメリカを縦断するとして、このような発想のコピーが生まれるとは思えない。
昔、左京区のはずれにアメリカン・ダイナー風のカフェがあり、そこにジューク・ボックスが設置されていた。しかし、残念ながらそれはアナログ式のマシンではなく、デジタルで選曲するカラオケのような機械で、内容は当時のヒットポップスばかり。サイモンとガーファンクルや、もっと南で聴かれていたであろうリズム・アンド・ブルースの類は聴くことができなかった。メニューのカレーライスには、冷凍ポテトとミックスベジタブルが添えてあり、がっかりした覚えがある。ディスプレイとしてのアメリカらしさ。あれからその店には訪れていないが、今もなおジューク・ボックスは設置されているのだろうか。
ロバート・フランクの写真集『THE AMERICANS』に登場する被写体をカウントし、その傾向を考察するという批評を読んだことがある。
それによると、確か最も数多く登場するのがジューク・ボックスだった。スイス出身のロバート・フランクは、グッゲンハイム財団の助成金を得て、アメリカを一年間放浪し、撮影した。当初、それらの写真は、フランスの名門デルピール出版のビジュアル百科全書、つまりアメリカ人の生態を知るための実用書として出版された。しかし、その内容は、当のアメリカ人にとっては、不快を伴うスキャンダラスなものだった。アメリカ国旗で顔を隠された人、虚ろな表情を浮かべるトロリーバスの乗客、葬式、宗教の勧誘。偉大なる戦勝国、自由の国、圧倒的な豊かさといった、当時のアメリカ人が自負するパブリック・イメージは覆い隠され、あるいは覆いを外され、憂鬱で、陰気なアメリカの姿ばかりが捉えられているのだ。その中に、バーやダイナーに置かれ、ぼんやりと発光するジューク・ボックスが繰り返し登場する。
ビート・ジェネレーションを代表する作家、ジャック・ケルアックは同書に序文を寄せ、このように綴っている。
「これを見た後では、ジューク・ボックスは棺桶よりも悲しいものなのかどうかわからなくなってしまう」
アメリカの虚無的なシンボルとしてフランクはジューク・ボックスを撮った。
バリー・ジェンキンス監督の映画『ムーンライト』の終盤に、ジューク・ボックスが登場する印象的なシーンが描かれる。登場人物のシャロンは、想いを寄せていた旧友であるケヴィンとマイアミのダイナーで再会する。話は弾まず、気まずい空気の中、ジューク・ボックスからは黒人女性シンガー、バーバラ・ルイスが唄う1963年のヒットシングル”HELLO STRANGER”が流れる。突然の訪問者であるシャロンを迎えるケヴィンの心情を見事に表した歌詞。舞台はフロリダ、サイモンとガーファンクルの曲が目につかない南である。
そこにたまたまあったもので、気持ちを代弁する洒脱さ。これに比べれば、配信サービスをその場で検索して流すことが野暮に思えてならない。そう考えるとジューク・ボックスの存在価値が少しわかったような気がした。
Barbara Lewis(1963 / Atlantic Records)