遠ければ遠いほど美味い

キャンプや登山の際に屋外で飲むコーヒーは美味いという。そういったアクティビティに縁遠い自分にはいまいちピンと来なかったのだが、先日友人家族と出かけたキャンプ先で早朝にコーヒーを自身で淹れて飲んでみて、そのニュアンスがようやく理解できたような気がした。持参した豆をハンドミルで挽き、昨晩の残り炭で沸かしたケトルで大雑把にドリップする。日常生活や、住まいという機能から遠く離れていながらも、一本の綱で昨日までの生活と繋ぎ留められているような感覚。小舟を桟橋につなぐ係留索のような役割をコーヒーが果たしてくれているのかもしれない。わざわざ利便性を放棄しながらも、一抹の日常は保持しておきたい。文明からの一時的かつ部分的なドロップアウトという意味ではバカンスもそれに近いニュアンスがあるのではないか。

 

コーヒーの消費量が世界的にも高いとされる、北欧フィランドの作家トーベ・ヤンソンは、1960年代なかば頃から25年もの間、毎年数ヶ月をフィンランド湾の群島の、小さな岩礁で過ごした。トゥーティという同性のパートナーと年老いた母、ときに女性三人で自給自足した日々は、バカンスのような生易しいものではなかった。

 

その間の暮らしぶりを、綴った詩的なドキュメント『島暮らしの記録』は、巨大な岩の発破に始まり、東西南北が見渡せる四つの窓と地下室を備えた、無人島の上の小さな小屋を建てることから始まる。作業は幾度となく嵐に見舞われ中断を余儀なくされる。ビューフォート風力階級七や八程度の強風が幾度となく訪れ、その度に何もかもが吹き飛ばされ、新たな砂浜が生まれては消えてゆく。島暮らしにおける防災の中でも最も重要なのが、ボートの見張りである。大波でボートがさらわれてしまえば、孤島から脱出する術がなくなってしまう。トーベたちは、朝四時からコーヒーを淹れ、寝ずの番をし、係留されたボートを見守り続けたという。周辺の岩礁を巡る際にもコーヒーは欠かせない。例えばある日の日記はこうだ。

 

ブルンストレム(*注)、十一月四日

 

はやくも朝から強い北西風。それでブレド岩礁に居残り、木材作業で半日すごした。昼食後、みんな揃って岬の探検にトゥン小島に足を延ばした。岩礁への遠出にはつきもののコーヒーをもって。

 

そもそも赤道付近で栽培されるコーヒー豆が寒い国で消費されること自体が、夏や温暖さへの繋がりのようなものを感じさせる現象だ。その寒い国から小さなボートに乗り、カフェはもちろん、電線もガスも、舗装された道路すらもない島の小屋で数ヶ月を暮らす。その最中で、周辺の無人島を巡る際に、必需品ではないにもかかわらず「つきもの」のコーヒーは、まさにボートを島につなぎとめる綱のような存在だ。

 

ヤワなキャンプや登山では味わえないような、切実な味わいがあったに違いない。

 

*注 島暮らしの協力者の一人であるブルンストレムによる記述

ASUE Fairtrade Coffee ドリップコーヒー
音楽とバラで、遠く離れた途上国で暮らす子供たちの教育環境、そしてその母親でもある働く女性たちの雇用整備の向上を目指す支援活動「One of Loveプロジェクト」。今回紹介するASUE Fairtrade Coffee ドリップコーヒーは、有機JAS、国際フェアトレード認証コーヒーを使用していて、売り上げの一部を「One of Loveプロジェクト」に寄付する商品。味わいは「Active」と「Relax」の2種。20杯分のアソートセットのほか、それぞれの単品もご用意。