戦前と戦後/宗悦と宗理

ドリッパーとサーバー、ガラス製の二つの円錐形が砂時計のようにして繋がり、そのくびれ部分には木製の覆いがはめ込まれている。珈琲を抽出する際に必要な道具を一つに収斂させた上、取っ手のような余計な部位を排除した、無駄のないフォルムをもつケメックスのコーヒーメーカーは、モダンデザインという概念をこの上なく明快に体現し、今もなお愛され続けている。

 

このコーヒーメーカーをデザインしたのはピーター・シュラムボームというドイツ出身の科学者だった。1942年、戦時下においてアルミニウムやクロムなどの素材は軍需産業に優先的に供給されたため、ガラスと木材のみで設計されたこの商品は、他社商品を抑えて優先的に生産され、普及したという。無駄を削ぎ落としたシンプルなデザインは、ナチスドイツの影響によるバウハウス解散を発端とし、ドイツからのデザイナーたちの移住によってもたらされた機能美と無縁ではない。二重の意味においてこのコーヒーメーカーは戦争の申し子なのだ。

 

戦争はわたしたちの暮らしを大きく変え、同時に発明や生活の変化をもたらした。同じくモダンデザインを象徴するアイテムの一つであるイームズの椅子は、戦場で負傷した兵士を運搬するための添え木に使用されたプライウッドの技術を応用したものである。

 

そのイームズ邸でこのコーヒーメーカーを目にし、感激して日本に持ち帰ったのが柳宗理だ。そう記憶していた自分は、この原稿を書くにあたってその著作『柳宗理 エッセイ』手に取り、驚くべき事実に直面した。民藝協会の機関誌『民藝』上にて連載された「新しい工藝/生きている工藝」でケメックスの「コーヒー入れ」を紹介した際に、書き手である柳宗理は「宗悦・・は戦後まもなくアメリカに渡って、イームズの家に呼ばれ」(傍点は筆者)このコーヒーメーカーを目にし、現地で購入し持ち帰ったと、はっきり書いているのである。

 

戦後、機械生産が手工芸を圧倒し、もはや民藝理論は時勢にそぐわぬ机上の空論となってしまった。それでもなお、民藝を同時代に展開すべく、コーヒーメーカーやジーンズ、野球のボールやジープを「新しい工藝」として紹介し続けたのが柳宗理だった。しかし、戦後の新しい技術の申し子であったイームズの自邸を訪れ、日本にも来たるべきモダン・ライフの象徴であるコーヒーメーカーに感激したのは、他ならぬ、戦前の手工芸を養護し続けた民藝運動の教祖、柳宗悦だった。

 

そうした事実を噛みしめれば、このコーヒーメーカーは工藝美の分水嶺を示すモノリスのようにも、民藝とモダンデザイン、宗悦と宗理をつなぐバトンのようにも見えてくる。

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