「Nothing's gonna change my world」

「敬愛する映画評論家、ミルクマン斉藤さんが早逝されてから一年、先日その遺稿集が刊行された。デザインオフィス「GROOVISIONS」のデザインしないメンバー。要するに知恵袋的存在としても知られ、そのファナティックでユーモラスな語り口と、トレードマークであるピンク色のビッグスーツで、特に関西の映画ファンにはおなじみの存在だった。直接お話したことは数回程度だが、彼のイベントに幾度か参加し、映画の見方、楽しみ方に強い影響を受けている。本に目を通していて懐かしい思い出と映像が頭をよぎった。

 

ポール・トーマス・アンダーソン(以下『PTA』)監督の『ザ・マスター』が日本公開される直前、たしか2013年頃に、大阪は天神橋のブックカフェで開催された同監督を掘り下げるトークイベントに参加した。最初期から同監督の熱心な支持者であったミルクマンは、ロバート・アルトマンやジョナサン・デミなど、PTAの影響元から、映画以外の仕事までを幅広く紹介しつつ、その作品群がいかにすごいかを捲し立てた。その中で紹介された映像の一つが、フィオナ・アップルのミュージック・ビデオだった。

 

当時、PTAはパートナーだったフィオナ・アップルのビデオを何本か手掛けているが、中でもビートルズの「アクロス・ザ・ユニバース」を歌ったこのMVは出色の出来だ。同曲は『カラー・オブ・ハート』という映画のサウンドトラックに提供されたもので、そのビデオは劇中に登場するダイナーのセットをそのまま用いて撮影された。

 

「SODA SHOP」と掲げられた看板にゆっくりとカメラが近づくと、突如そのステンドグラスの飾り窓にベンチが放り投げられ破壊される。カメラは、ベンチを投げ込んだ男たちとともにダイナーの中へと侵入し、隅っこのボックスシートにヘッドフォンを付けたまま腰掛けるフィオナ・アップルの姿を捉える。割れた窓から続々侵入する暴徒たちは、バットや素手でダイナーを次々に破壊していく。カウンターの上のケーキドームや水差し、大きな鏡や壁に掛けられた絵画が粉々に割られ、店内は混沌の渦に巻き込まれる。その破壊行為がすべて楽曲のリズムと同機し、不思議なグルーヴ感を生み出している。そんな中、フィオナ・アップルは周囲の暴動にも眉一つ動かすことなく、耳をヘッドホンで塞ぎ、カメラを見つめ、「アクロス・ザ・ユニバース」をゆっくりと口ずさむ。

 

「Nothing’s gonna change my world」(「なにごとも私の世界を変えることはできない」)という同曲の一節を表した、壮絶な破壊行為にも動じないフィオナの姿がクールで、随所に映画的技巧を凝らしたPTAらしいビデオだ。その後半で彼女はヘッドフォンを外し、なおもカオスの中歌い続ける。

 

数え切れないほど繰り返し再生した最も好きなミュージック・ビデオの一本を、ミルクマン斉藤に教わった。

 

最近では、AirPodsなどのワイヤレスイヤホンを装着したまま、カフェでスマートフォンを触り続けている客が多い。そんな姿を見かけるたびに、このミュージック・ビデオと“Nothing’s gonna change my world”というフレーズが頭をよぎる。

 

イヤホンをつけ、自分だけの世界に留まる客をフィオナに見立てているわけでも、暴徒の気持ちで物を投げつけたり、状況を破壊したい訳ではない。イヤホンをせずにその場にいることで、このミュージック・ビデオのなかにいるような気持ちになるのだ。いかに暴力的に世界が変わっても、自分の居場所は、いまここだと。

DISC DESCRIPTION
When The Pawn...
フィオナ・アップル(2012 / ソニー・ミュージックレコーズ)
アメリカのシンガーソングライター、フィオナ・アップルが1999年に発表したセカンドアルバムの日本限定リイシュー版。日本では『真実』というタイトルで発売されたが、原盤のタイトルは『When the Pawn…』で始まる90語の詩(CDジャケット参照)で、発売当時は「世界一長いアルバム・タイトル」として話題となった。ビートルズが1969年に発表した『アクロス・ザ・ユニバース』のカバーは、ボーナストラックとして、日本盤にのみ収録。感情の起伏を繊細に表現する低くハスキーな声で、名曲を物憂げにしっとりと歌い上げている。CDの音源も素晴らしいが、YouTubeで公開されている、ミュージックビデオを視聴すれば、より深く彼女の世界観に触れられる。